2016年12月16日
福谷先生、夢授業
福谷先生、夢授業
2016年12月14日 紙面から

目標を発表した児童の頭をなでる福谷=愛知県小牧市の米野小で(谷沢昇司撮影)
これは、セ界一受けたい授業だ-。中日の福谷浩司投手(25)が13日、日本サッカー協会が主催する『こころのプロジェクト 夢の教室』に参加し、『夢先生』として愛知県の小牧市立米野小5年2組の教壇に立った。福谷は父親との衝突から引きこもりになった経験を披露し、「誰にも見せたことがない」という日記を公開。夢を持つことの大切さを教える趣旨のプロジェクトながら「無理に夢を描いてほしくない」と語りかけ、「自分は変われる」というテーマで感動の授業を展開した。
穏やかな笑みを絶やさずに語りかける25歳の言葉に、35人の子どもたちだけでなく、見守った教師や報道陣までもが吸い込まれていった。福谷先生の初授業。2つ上の兄を追い掛けて野球をはじめ、充実した少年時代を過ごした…という流れから一転、黒板に『反抗期』と書かれた紙を貼った。
「親に『死ね』と言ったこともあります。苦しくて、引きこもって、学校にも、野球の練習にも行かなかった」。中学3年のとき、父が勧める進路に納得できず、約1カ月間不登校になった。「そのときまでは父が怖くて、何言われても『すみません』だった。でも自分で学校を選ぼうと決めた。勇気を持って初めて自分の意思を言った」。その結果、父とはわかりあえたという。
プロ野球選手という夢を持ったのは、日本代表に選ばれた大学3年のときだった。だから小学5年生に伝えたのは、今、急いで夢を決める必要はないということだった。「先生自身もそれまでは『夢』っていう言葉が好きじゃなかった。だからみんなにも無理に書いてほしくない。そのころの僕も書けなかった」。そう語ると、『夢シート』を前にした子どもたちの間に、どこか安堵(あんど)の空気が漂った。
そして、福谷はしっかりとテーマを用意していた。「先生が一番伝えたいのは、自分は変われるということです」。そう言って取り出したのは、1冊のノート。誰にも見せたことのない、秘密の日記だった。プロ1年目に故障離脱し、野球ができない葛藤からつけ始めた。「1日3行、5分くらいでいい。内容は3つ。きょうあったこと、明日やること、そして最後に宣言を書いています」
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016121402000098.html
2016年12月16日
森野、2010年と同じ「Vボディー」
森野、2010年と同じ「Vボディー」
2016年12月14日 紙面から

ゼット本社を訪れた中日・森野=大阪市天王寺区で(横田信哉撮影)
中日・森野将彦内野手(38)が13日、大阪市にある契約メーカー「ゼット」本社を訪問した。オフ返上のトレーニングで体重は5キロ減の88キロ。リーグ優勝した2010年と同じ「Vボディー」になった。今季は68試合出場にとどまり苦汁をなめた背番号7は、来年2月の春季沖縄キャンプの1軍組参加を森監督に願い出たことも明かした。支配下登録を勝ち取った岸本淳希投手(20)は、新背番号「59」を“出世番号”に変える意気込みを示した。
見るのは前だけ。不振だった今季はもう過去。精悍(せいかん)な顔つきでスーツをまとった森野が決意を語った。
「キャンプは初日から動けるように準備していくつもり。ゆっくりするつもりもないよ」
かつては、シーズンが終わるとゴルフに旅行に…。そんな昭和の臭い漂うプロ野球選手だった背番号7が今オフはどうだ。連日、ナゴヤ球場に足を運ぶ。ランニングで体をほぐし、筋力トレーニングで体幹などを強化。これまでにないメニューをこなし、体重はいつしか5キロ減。これは2010年と同じ体重。144試合で22本塁打、84打点、打率3割2分7厘だったころだ。
「ゴルフもお酒も我慢しないとね。そりゃ、ゴルフは楽しいよ。けど、控えないとね」。今季は68試合出場で142打数38安打、1本塁打、15打点、打率2割6分8厘。これ以上ない屈辱を味わった。欲望を捨て、真正面から野球と向き合っている。
2月の沖縄キャンプでは1軍の北谷組に組み込まれることも濃厚だ。11月下旬の球団行事で、森監督から1、2軍のどちらがいいかと聞かれて北谷を選んだ。「自分の尻をたたいていかないといけないから」という。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016121402000101.html
2016年12月16日
森監督「ゼロからのスタート」 来季スローガン発表
森監督「ゼロからのスタート」 来季スローガン発表
2016年12月14日 紙面から

新スローガン「原点回帰」を発表した森監督=名古屋市内のホテルで(小沢徹撮影)
中日・森繁和監督(62)が13日、来季のスローガンが「原点回帰~ゼロからのスタート~」に決まったと発表した。
最下位に沈んだチームをまさにゼロから立て直す。「チームだけでなく、ファンも球団もゼロに戻って、チーム作りをしたい。東海地方が一体となって、野球ができる喜びをもう一回取り戻したい」
指揮官は、この言葉に込めた思いを口にした。19年ぶりの最下位、4年連続Bクラスとまさにチームは低迷期。ここから立て直すのは並大抵のことではない。球団から提案されたものの中から、就任会見でも「ゼロからのスタートと言ったので」とこれに決めた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016121402000099.html
2016年12月16日
若松、柳と同学年共闘だ!
若松、柳と同学年共闘だ!
2016年12月14日 紙面から

慰問に訪れ、子どもたちと触れ合う(左から)福田、若松、藤吉=名古屋市北区の市立西部医療センターで(黒田淳一撮影)
中日・若松駿太投手(21)が13日、同学年で同じ右腕のドラフト1位・柳裕也投手(22)との共闘を誓った。
「ライバル心はない。一緒に1軍で投げて、ドラゴンズが優勝するために頑張れたらいい」
闘争心をむき出しにするのではない。手を取り合いながらチームを勝利に導くことに若松は思いを巡らせた。即戦力右腕と開幕ローテ入りを争うことになりそうだが、2人で1年間ローテを守ればチームも勢いづき、最下位から巻き返すことができると信じている。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016121402000102.html
2016年12月16日
岸本、「202」から「59」の出世番号に!!
岸本、「202」から「59」の出世番号に!!
2016年12月14日 紙面から

森野、谷とともにゼットを訪れた岸本。新背番号「59」に対する思いを語った(横田信哉撮影)
岸本が新背番号「59」を知ったのはインターネットだった。「びっくりしました。自分は2桁を目指してきました。どの番号でもありがたいです」
3年目の今季は4月に四国IL香川へ派遣され、抑えに定着した。10月にはU-23日本代表にも選ばれてメキシコへ。セットアッパーとして5試合で1勝0敗、5イニング1/3を無失点投球でジャパンを優勝へ導いた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016121402000103.html