2016年10月31日
大島、残留 FAせずスッキリ
大島、残留 FAせずスッキリ
2016年10月31日 紙面から
黙々スローイングを繰り返す大島=21日、中日ドラゴンズ屋内練習場で(小沢徹撮影)
中日・大島洋平外野手(30)がフリーエージェント(FA)の権利を行使せず、来季も竜のユニホームを着ることが30日、決まった。31日に会見する予定。29日夜に球団と3度目の交渉に臨み、条件面に変化があったことから、大島は一気に軟化。30日朝、森繁和監督(61)と西山和夫代表に残留の意思を伝えた。複数年契約と見られる。また、国際渉外担当を兼務する森監督はこの日、ドミニカ共和国のウィンターリーグなどを視察するため、成田空港から飛び立った。
竜党に朗報だ。切り込み隊長・大島の残留が決まった。背番号8が安堵(あんど)の表情を浮かべる。
「いろいろ悩みましたけど、これからもドラゴンズにお世話になります。森監督の助けもありましたし、今はもうスッキリしています。自分は名古屋市出身ですし、ドラゴンズのユニホームを着たくて野球を始めました。こうなってよかったと思っています」
平行線をたどっていた大島と球団の交渉が、一気に決着した。1度目の交渉後は条件に納得いかず「(宣言するか)気持ちは半々です。自分を安売りしたくない」と発言。2度目の交渉でも提示額に変化がなく、西山代表に他球団と交渉する意思があることを伝えた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000104.html
2016年10月31日
森監督「抑えが大前提」
森監督「抑えが大前提」
2016年10月31日 紙面から
ドミニカへ向け出発する森監督=成田空港で(久野功撮影)
極上のニュースが、成田空港で出発を待つ森監督に届いていた。「大島は残留。さっき電話があったよ。一番に考えていたから大きい。これでセンター(の補強を)を考えなくていい」。補強ポイントが明確になって旅立つことになった。
「抑え投手が大前提。あとは野手だけど、サード、ファースト、外野と幅広く考えていく」
ターゲットは抑え投手と一、三塁や左翼が守れる野手、さらに先発投手の3人だ。来季で2年目を迎えるビシエドが一塁か左翼で起用できるので、もう一人の野手は一、三塁、左翼が守れる選手が候補になる。「大砲とか左右にこだわりはない。守れることが大事」と森監督。先発候補も含めて同時進行で調査活動することになる。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000103.html
2016年10月31日
翔太、直球キレ味 日本刀級
翔太、直球キレ味 日本刀級
2016年10月31日 紙面から
友利投手コーチ(右)が見る中、ブルペンで軽めに投げる鈴木(黒田淳一撮影)
切り捨て御免-。中日・鈴木翔太投手(21)が、沖縄・北谷球場での秋季キャンプで、最大の武器を手に入れつつある。第1クール最終日となった30日、ブルペンでキレッキレの直球を披露。ベース上で伸び上がるような鋭さに、友利投手コーチは「日本刀のよう」と表現した。
さやから抜くように左足を上げ、無駄なくしなやかに腕を振る。飛び出した刃は最後に伸び上がり、破裂音とともにミットに収まる。鈴木が投じるのは、未来を予感させる直球。間近で見ていた友利投手コーチは何度もうなずき、こう評した。
「パワーで力強いというより、とにかく切れていて鋭さがある。スパッといく感じ。例えるなら、日本刀のようだね」
天性のしなやかさを最大限に生かしたからこその武器。鈴木自身も「今は速さじゃなくキレしか求めていない。回転数が多く、理想は力感がそんなになくてもビュッといく真っすぐ」と追い求めている。テークバックを小さくした新フォームに感じる手応え。さらに完成形に近づけるため、沖縄では2つのポイントに気を配る。ひとつは軸足にタメを作ること。もうひとつはグラブをはめた左手の引き方で、友利コーチからは「柔道の一本背負いのようなイメージ」と教わった。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000099.html
2016年10月31日
中山俊丈さん 死去 中日で2年連続20勝
中山俊丈さん 死去 中日で2年連続20勝
2016年10月31日 紙面から
川上哲治さんに2000安打を打たれた試合を振り返る中山俊丈さん=2013年10月30日、愛知県春日井市の自宅で(小嶋明彦撮影)
中日の投手で活躍し、投手コーチ、合宿所寮長などを務めた中山俊丈(なかやま・としたけ)さんが24日午前0時25分、膵臓(すいぞう)がんのため愛知県春日井市内の病院で死去した。80歳。葬儀・告別式は26日、家族葬で行われた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000102.html
2016年10月31日 紙面から
川上哲治さんに2000安打を打たれた試合を振り返る中山俊丈さん=2013年10月30日、愛知県春日井市の自宅で(小嶋明彦撮影)
中日の投手で活躍し、投手コーチ、合宿所寮長などを務めた中山俊丈(なかやま・としたけ)さんが24日午前0時25分、膵臓(すいぞう)がんのため愛知県春日井市内の病院で死去した。80歳。葬儀・告別式は26日、家族葬で行われた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000102.html
2016年10月31日
中山さん悼む 「門限破り」黙認 懐の深さ感じた
中山さん悼む 「門限破り」黙認 懐の深さ感じた
2016年10月31日 紙面から
巨人戦で戦後初のノーヒット・ノーランを達成した中山俊丈=1964年8月18日
中山さんの現役時代は知らない。でも、そのすごさを物語る話は、本人から聞いたことがある。
「あんなうれしかったことはないね。勝って敵に握手を求められたことなんて最初で最後だよ」。それは1953(昭和28)年、四国での国体だったという。中山さん擁する中京商は松山商と対戦。勝つのだが、当時の松山商のエースは、空谷(児玉)泰、その年の夏の甲子園で全国制覇して、無敵と呼ばれた男だった。
そんな豪腕に投げ勝ち、空谷からは「俺より速い球を投げる投手を初めてみた」と言わせ、敵の応援団から、「空谷が負ける試合なんて初めて見た。記念になった」と喜ばれたというのだから、大したものだ。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000101.html
2016年10月31日
笠原、今中さんに刺激…目指せ5年目最多勝
笠原、今中さんに刺激…目指せ5年目最多勝
2016年10月31日 紙面から
サンデードラゴンズに出演し、入団後の目標を掲げるドラフト4位の笠原。左は今中慎二さん=CBCで(佐藤春彦撮影)
今中スタイル継承だ! 中日からドラフト4位指名された新潟医療福祉大・笠原祥太郎投手(21)が30日、CBCのドラゴンズ情報番組「サンデードラゴンズ」に生出演した。同じ左腕の大先輩・今中慎二さん(本紙評論家)に刺激を受け、緩急を生かした投球術を身につけて最多勝を狙う決意を見せた。
テレビ生出演で隣に座る竜投OBにおのずと背筋が伸びる。「こわもてな感じでした」。緊張しきりの笠原だったが、1993年に17勝を挙げて最多勝に輝いた大先輩に触発されるように決意を語った。「最多勝を取ってみたい」
最速147キロを誇るだけに笠原はセールスポイントを「ストレートの威力」と断言する。だが、今中さんの助言は「力で押してもいい。それで抑えられるのが一番だけど、その中で変化球もあるといい」というものだった。大先輩からの貴重なアドバイス。笠原も熱心に耳を傾けた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000098.html
2016年10月31日 紙面から
サンデードラゴンズに出演し、入団後の目標を掲げるドラフト4位の笠原。左は今中慎二さん=CBCで(佐藤春彦撮影)
今中スタイル継承だ! 中日からドラフト4位指名された新潟医療福祉大・笠原祥太郎投手(21)が30日、CBCのドラゴンズ情報番組「サンデードラゴンズ」に生出演した。同じ左腕の大先輩・今中慎二さん(本紙評論家)に刺激を受け、緩急を生かした投球術を身につけて最多勝を狙う決意を見せた。
テレビ生出演で隣に座る竜投OBにおのずと背筋が伸びる。「こわもてな感じでした」。緊張しきりの笠原だったが、1993年に17勝を挙げて最多勝に輝いた大先輩に触発されるように決意を語った。「最多勝を取ってみたい」
最速147キロを誇るだけに笠原はセールスポイントを「ストレートの威力」と断言する。だが、今中さんの助言は「力で押してもいい。それで抑えられるのが一番だけど、その中で変化球もあるといい」というものだった。大先輩からの貴重なアドバイス。笠原も熱心に耳を傾けた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103102000098.html
2016年10月31日
浜ちゃん、育成から再出発
浜ちゃん、育成から再出発
2016年10月30日 紙面から
左肘を手術した浜田達。来季は育成からの再スタートとなる=ナゴヤ球場で(金田好弘撮影)
中日は29日、浜田達郎投手(22)に来季の契約を結ばないことを通告したと発表した。27日には名古屋市内の病院で左肘の手術を受けたことから、来季は育成選手契約を結ぶ予定。育成からの再スタートとなった浜田達は「1日でも早く2桁の背番号をもらって試合で投げたい」と来年7月末までに再び支配下契約を勝ち取る覚悟を見せた。
置かれた状況でいかに上を目指すかがプロ。浜田達も分かっている。大谷(日本ハム)、藤浪(阪神)とともに「高校ビッグスリー」として、鳴り物入りでプロ入りした浜田達にとってみれば、支配下から育成行きはあまりにつらい宣告。固定された左肘をのぞかせながら、来季を見据えた。
「早く治すことを考えています。1日でも早く2桁の背番号をもらって、試合で投げないといけない」
育成契約になった最大の要因は左肘の手術だ。9月中旬からしびれが出始めてリハビリを続けたが、状態は回復しなかった。周囲と相談した結果、人生初の決断をした。27日に名古屋市内の病院で左肘尺骨神経剥離術を受け、この日退院した。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103002000102.html
2016年10月30日 紙面から
左肘を手術した浜田達。来季は育成からの再スタートとなる=ナゴヤ球場で(金田好弘撮影)
中日は29日、浜田達郎投手(22)に来季の契約を結ばないことを通告したと発表した。27日には名古屋市内の病院で左肘の手術を受けたことから、来季は育成選手契約を結ぶ予定。育成からの再スタートとなった浜田達は「1日でも早く2桁の背番号をもらって試合で投げたい」と来年7月末までに再び支配下契約を勝ち取る覚悟を見せた。
置かれた状況でいかに上を目指すかがプロ。浜田達も分かっている。大谷(日本ハム)、藤浪(阪神)とともに「高校ビッグスリー」として、鳴り物入りでプロ入りした浜田達にとってみれば、支配下から育成行きはあまりにつらい宣告。固定された左肘をのぞかせながら、来季を見据えた。
「早く治すことを考えています。1日でも早く2桁の背番号をもらって、試合で投げないといけない」
育成契約になった最大の要因は左肘の手術だ。9月中旬からしびれが出始めてリハビリを続けたが、状態は回復しなかった。周囲と相談した結果、人生初の決断をした。27日に名古屋市内の病院で左肘尺骨神経剥離術を受け、この日退院した。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103002000102.html
2016年10月31日
福「杉内クロスファイア」習得する!
福「杉内クロスファイア」習得する!
2016年10月30日 紙面から
ブルペンで投球練習する福。クロスファイア習得に向け投げ込む=北谷球場で(黒田淳一撮影)
中日・福敬登投手(24)が、沖縄・北谷球場での秋季キャンプで「クロスファイア」をテーマに掲げる。右打者の内角をえぐる、左腕投手にとっての投球の軸で、理想は巨人・杉内俊哉が全盛期に見せた糸を引くような球筋。キャンプ4日目となった29日は首脳陣の助言で手応えを感じ、急きょブルペンに入って実践した。
リリースポイントと捕手のミットを対角線に結ぶ直球。その軌道を確認しながら、福は「ヨシッ」と「アカンッ」のどちらかを口にする。自ら掲げた秋の重要課題のひとつ。「投球の生命線になるので、しっかり投げられるようになりたいです」と力を注ぐ。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103002000101.html
2016年10月31日
小笠原×小笠原×小笠原
小笠原×小笠原×小笠原
2016年10月30日 紙面から
小笠原(左)の筋トレにさらに負荷をかける小笠原2軍監督(篠原麻希撮影)
左肘手術を控えた中日・小笠原慎之介投手(19)が29日、ナゴヤ球場で行われている秋季キャンプで、小笠原道大2軍監督(43)と小笠原孝投手コーチ(39)からアメリカンノックを浴びせられた。ノーバウンドで20本捕るまで終わらないアメリカンノック。武藤が、育成・西浜が抜けた。残ったのは19歳左腕だけ。ノックバットを持っていたのは小笠原姓の2軍監督と投手コーチ。打つのも捕るのも「小笠原」だった。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103002000100.html
2016年10月31日
金子、やるしかない!
金子、やるしかない!
2016年10月30日 紙面から
2年目の金子が沖縄キャンプに合流した。この日は最高気温が30度を下回り、連日の酷暑が和らいだが「暑がっているのは僕だけでした」と苦笑。昨秋のキャンプは若手投手の選抜メンバーに選ばれたが、今回はナゴヤ球場組でスタート。阿知羅の離脱で急きょ巡ってきたチャンスに「最初からではないですが、やるしかない。けがなく体力をつけていきたい」と力を込めた。 <北谷>
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016103002000099.html