2017年02月18日
周平、理想弾の完成間近
周平、理想弾の完成間近
2017年2月6日 紙面から

フリー打撃で野村から豪快に左越えホームランを放つ高橋=北谷球場で(金田好弘撮影)
中日・高橋周平内野手(23)が第1クール最終日の5日、実際の投手を相手にしたフリー打撃で強烈なインパクトを残した。右方向へ130メートル弾を放ったかと思えば、左方向にもおっつけてスタンドインさせるなど状態の良さをアピール。理想の形を染み込ませるため、必死の日々が続いている。勝負の6年目。目の色が違う。
右足が着地したときにしっかりとバットが引けている。まさに弓を射る瞬間の、これしかないという間合い。そこから最後にバットがしなりながら出る。追い求めているスイングができているからこそ、高橋の打球は思いのまま飛んでいく。
「良い形で打てています。ちゃんと足を使って振れている」。この日はキャンプで初めてフリー打撃に投手陣が上がった。高橋のときは3年目のドラフト1位右腕・野村。5スイング目だった。高橋の「ウリャー」という雄たけびとともに高らかに舞い上がった打球は、右翼後方のネットに直撃する推定130メートル弾。さらに9スイング目には左方向へ放物線を描き、芝生席に飛び込んだ。27スイングしてヒット性は13本。強烈な印象を残した。
チェックポイントは右足の着地と同時にバットが出ないようにすること。これだと体が突っこみやすく、強く振ることはできない。1月の合同自主トレで大島にもらったアドバイスでもある。「基本はレフトに打つイメージ。ライトへの打球は結果的に引っ張れたという感じ」。逆方向に打つには右足を着地し、ボールをポイントに呼び込んでから振るため、自然と理想の形を固めることができる。
だからこそ、個別練習の特打では、マシン相手に94スイングで60球が左方向。右方向へはわずか8球だった。徹底して思い描く形を体にたたき込もうとしている。
勝負の6年目は必死さが違う。前日、自分の形に納得がいかなかった。すると帰りの宿舎までの車が一緒だった大島に、すかさず自らの打撃の映像が入ったスマホを見せ、意見を聞いた。大島も「初日は良かったけど、昨日はダメだった。きょうはまた良くなっていましたね」とうなずいた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020602000093.html
2017年02月18日
三ツ間、直倫のバットをボキッ
三ツ間、直倫のバットをボキッ
2017年2月6日 紙面から

打撃投手を務め好投する三ツ間(篠原麻希撮影)=北谷球場で
中日は5日、北谷球場でのフリー打撃に8投手が登板した。今季支配下登録された三ツ間卓也投手(24)は、堂上のバットをへし折る堂々のピッチングでアピールに成功した。また鈴木翔太投手(21)は球速140キロをマークするなど好投し、成長を証明した。
グシャっという鈍い音に、北谷球場のスタンドがどよめいた。この日から始まったフリー打撃登板で、4番目にマウンドに上がった三ツ間。支配下登録後初となる1軍打者との対戦とあって注目を集めるなか、2人目の堂上に投じた2球目だ。持ち味の動くストレートが内角高めに切れ込み、スイングした堂上のバットの根元を折った。これが全56球、10分間の剛球ショーのハイライトだ。
手応えはばっちり。ブルペンでの追加の28球を終えると息を弾ませながら「ストライクゾーンの中での強い球と、動くのも僕の特長。それで右打者のバットを折れたのはいい球が行ったということですね」と振り返った。堂上には30球を投げヒット性の当たりは右への柵越えを含む5つ。1人目の亀沢には26球でヒット性は3本。球速は139キロ止まりで最速152キロ右腕にとっては満点とはいかないが、可能性を感じさせるには十分な内容だった。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020602000092.html
2017年02月18日
翔太「やったー」140キロ出た!
翔太「やったー」140キロ出た!
2017年2月6日 紙面から

打撃投手を務め力投する鈴木(小沢徹撮影)
南国での「開幕投手」に一歩近づいた。フリー打撃で木下拓と加藤に直球を計56球を投げ、許した安打性の当たりは6本。「まだ抜ける球も多いけど、しっかり指にかかった球もあった」。鈴木の言葉は、打撃ケージ後方のスピードガンが証明した。
最速は140キロを計測。打撃投手を務めた若手8投手のうち、伊藤の141キロに次ぐ数字だった。「スピードはそこまで」と意識はしないが、この日の球速を聞くと表情が好転。近くにいた勝崎コンディショニングコーチに向け「勝さん、やったー!!」と笑った。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020602000091.html
2017年02月18日
柳、先輩ウオッチング「勉強になりました」
柳、先輩ウオッチング「勉強になりました」
2017年2月6日 紙面から

投内連係で駆け出す柳=北谷球場で(篠原麻希撮影)
中日のドラフト1位・柳裕也投手(22)が「ベテランウオッチング」の1週間に収穫を得た。5日で1軍・北谷組での第1クールが終了。慣れない環境に戸惑いながらも、偉大な先輩たちからプロの姿勢を学び取った。
「力入りました」。率直な感想を問われ、そう照れ笑いを浮かべる。首脳陣や関係者、報道陣にファンと幾多の注目を浴びながら、次々と消化される練習メニュー。合間にはファンサービスも。目の回るような日々だったが、学びのアンテナは常に立てていた。
「岩瀬さんや山井さん、吉見さんを見ていると、すごく真剣に取り組んでいたし、キャッチボールも丁寧。勉強になりました」。一時代を築いてきた投手の共通点。船上でのホエールウオッチングがシーズンを迎えた沖縄で、柳はグラウンドで観察に夢中だった。
この日は初めて投内連係に参加。横浜高-明大と名門を歩んできた右腕は無難にこなしたが「やっぱりレベルは高いし、スピード感も違います」と実感した。ブルペンでは47球。「けがなくやれたことが一番良かったです」とひと安心する。
6日の休養日は軽く外出する予定。フリー打撃に登板する7日に向け「テンポ良く、ゾーンに投げること。いつでもストライクを取れるようにしないといけません」と強調する。2日のブルペン投球では、打者を立たせて予行練習済み。精密機械と化して直球を投げ込む。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020602000089.html
2017年02月18日
<竜戦士 オレの原点> 木下拓哉捕手
<竜戦士 オレの原点> 木下拓哉捕手
2017年2月6日 紙面から

プロでも長打を追い求める木下拓(小沢徹撮影)
神宮球場の電光掲示板に表示されたのは「7番、木下」だった。東京六大学の秋季リーグ戦1回戦。当時、法大3年の木下拓は正妻をつかんだばかり。「試合に出られたことがうれしかった」。しかし、打順が今までと違った。「小さいときからホームラン打ちたいなとか、4番打者にあこがれたので」
野球選手にとって醍醐味(だいごみ)の一つともいえる4番打者。小2で野球を始めてから高知高までの10年間、4番打者として君臨し続けてきた。2年夏、3年夏には甲子園の舞台も経験し、本塁打も放った。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020602000085.html
2017年02月18日
ルーキーが変える 京田で走塁改革
ルーキーが変える 京田で走塁改革
2017年2月5日 紙面から

走塁練習する京田。「一番速い」と広島007も警戒した=北谷球場で(黒田淳一撮影)
中日のドラフト2位、京田陽太内野手(22)=日大=が走塁改革の象徴になる。森脇浩司内野守備走塁コーチ(56)が4日、竜再建に向けたキーマンに指名。まだ粗削りながら十分な可能性を秘めた好素材が、沖縄・北谷球場での春季キャンプで磨きを掛け、将来のスピードスターを目指す。
ソックスを膝まで見せる「クラシックスタイル」に、均整の取れた体。走塁練習でグラウンドを駆ける姿は先輩選手に全く見劣りしない。50メートル走は5秒9。「スピードはあると思いますが、そこまでですかね」。京田は謙遜するが、森脇コーチの目には確かな未来が見えた。
着手するのは走塁改革だ。昨季は得点数がリーグ最低で、盗塁数は同ワースト2位に沈んだ。常に実戦を意識しながらひとつ先の塁を目指すことが重要なのは言うまでもない。「優勝するチームはその重要さを認識できている」。一丸で取り組む課題に向け、鍵を握るのは誰か-。京田の存在に対して「なるかじゃなく、そうなると言い切れる」と期待した。
素材の良さは確認できた。キャンプ2日目に盗塁のタイムを計測。京田は「あまり良くなかった」と苦笑いしたが、堂々の3秒20。昨季26盗塁を記録した不動のリードオフマン、大島はシーズン中で3秒1台。まだ動き始めであることを考えるとチームトップクラスで、広島の田中スコアラーも「一番速いんじゃないかな」と舌を巻いた。
もちろん、まだ未熟なのも確か。長嶋外野守備走塁コーチからは「盗塁の時に走りが蛇行している」と指摘された。京田自身も「ベースの回り方や状況判断は、他の選手に比べるとまだまだ」と受け止める。ただ、言い換えれば伸びしろ。天然のままの原石は、南国の日差しで磨かれる。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020502000086.html
2017年02月18日
吉見、直球の握り変えた
吉見、直球の握り変えた
2017年2月5日 紙面から

ブルペンでの吉見。中指で強くはじいて投げるストレートに手応えを感じつつある=北谷球場で(篠原麻希撮影)
中日・吉見一起投手(32)がソフトバンク・千賀と同じストレートの握りに挑戦している。見た目はほぼ一緒だが、人さし指は添えるだけにして、中指で強くはじくスタイル。ボールの回転数を上げることが目的で、手応えをつかみつつある。エース復権へ、着々と準備を進めている。
投手の基本はストレート。これまで2度の最多勝に輝くなど、確固たる地位を築いてきた吉見が、プロ12年目にして直球の握りを変えた。これまでは縫い目に対して人さし指と中指へ均等に力を入れる基本スタイルだったが、新バージョンでは人さし指は添えるだけで、ほぼ中指だけではじくのだという。その心はというと-。
「その方がボールのスピンが多くなる」。きっかけは、1月に福岡県内でソフトバンク・千賀らと行った合同自主トレ。主宰する鴻江寿治トレーナーがその1年前に千賀へ伝授したのがこの握り。その千賀は昨季、先発陣の中心として12勝3敗と大ブレークした。「千賀のボールがえげつなかった。実際に投げてみて、受けてもらった捕手もこっちの方が良いと言ってくれた」と吉見。キャンプイン後も新たな握りで投げ続ける毎日だ。
この日は、ブルペンで“千賀ストレート”を中心に74球。これまで2度のブルペンはコーナーには決まるが、「まだボール1個半高い」と語っていた。それも徐々に改善され、低めに集まってきている。「高いのは握りのせいかなと思ったけど、そうでないことが分かった。修正できてきたけど、まだまだ全然。外角低めに50球投げようと思ったら、ミスなく50球投げられるようにと思ってやっています」。背番号19が目指すのは常に究極。これぞ吉見のスタイルだ。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020502000089.html
2017年02月18日
翔太、沖縄開幕投手チャンス
翔太、沖縄開幕投手チャンス
2017年2月5日 紙面から

投内連係でマウンドを駆け下りる鈴木=北谷球場で(金田好弘撮影)
小さな一歩を大きな未来につなげるため、中日の鈴木翔太投手(21)が北谷球場のマウンドに一番乗りで上がる。森監督は4日、第1クール最終日の5日から始まる投手のフリー打撃登板に、鈴木が一番手で投げることを明言。さらに指揮官は、ここで問題なく打者に投げ、第2クールでのシート打撃登板も順調にクリアすれば、と条件を付けたうえで、対外試合初戦となる12日のハンファ戦で先発させる考えを示した。
4年目を迎えるドラフト1位右腕にとって、“開幕投手”の切符を目の前にチラつかされれば燃えないわけにはいかない。それでも、フリー打撃登板に向けて「まずはブルペンでやっていることを出すこと。しっかりストライクを取れるようにしたい」と気負いはない。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020502000087.html
2017年02月18日
三ツ間、フリー打撃へ打者想定して34球
三ツ間、フリー打撃へ打者想定して34球
2017年2月5日 紙面から

投手陣が見る中、投内連係で投球する三ツ間(手前)=北谷球場で(黒田淳一撮影)
支配下選手登録されてから初の1軍キャンプに参加している三ツ間卓也投手(24)が4日、2日連続でブルペン入りし、5日のフリー打撃登板に向けたイメージトレーニングを完了させた。
丁寧にコースを投げ分けた。スライダーとツーシームを交えて計34球。3日に117球を投げ込んでつかんだ手応えを確認する程度で済ませた。「打者をイメージできていた。2日続けて狙ったところにボールがいった」と納得顔で汗を拭った。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020502000088.html
2017年02月18日
<竜戦士 オレの原点> 荒木雅博内野手
<竜戦士 オレの原点> 荒木雅博内野手
2017年2月5日 紙面から

左右にサトウキビ畑が広がる道を球場に向かって歩く荒木(宮崎厚志撮影)
気付けば空には星がまたたき、聞こえるのは風になでられるサトウキビ畑のざわめきだけ。街灯もない夜の一本道を、18歳の荒木はトボトボと歩いていた。「暗いなあ。長いなあ。明日もしんどいのかなあ」。誰からも返事はない。読谷村の平和の森球場から1・9キロ離れた宿舎まで、ヘトヘトになった体を引きずって帰るのが、プロ1年目のキャンプでの日課だった。
朝は早出特打から始まり、球場は最後に出る。1日10時間以上に及ぶ練習。さらに宿舎でもバットを振り込んだ。当時の2軍は1軍との差を明確にするためユニホームと背番号入りTシャツしか洗濯してもらえず、それ以外は自分で洗った。ホテルの洗濯機と乾燥機を回している約1時間、出掛ける当てもない。となればやることは1つ。素振りだった。人と同じことをしていては生き残れない。「5年で芽が出なかったら辞めて熊本に帰ろう」と決めていたが、そんな読谷キャンプは入団6年目まで続いた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201702/CK2017020502000092.html