2016年12月07日
渡辺、荒川さんに誓う「支配下登録」
渡辺、荒川さんに誓う「支配下登録」
2016年12月6日 紙面から

亡き荒川さんに来季の飛躍を誓う渡辺=レイクグリーン倶楽部で(黒田淳一撮影)
突然の悲報から一夜明けても、渡辺は動揺を隠せないでいた。「まだ会っていないので(亡くなったことが)信じられない」。昨オフも実践した「真剣トレ」を今月も荒川さんと東京で行うはずだった。「予定…で終わってしまいましたね」。思わず言葉に詰まった。
荒川さんに指導を受けるようになったきっかけは中学3年時。横浜市内に暮らしていた渡辺が、母・康子さんの知り合いを通じて出会い、連れて行かれた神宮外苑のバッティングセンターで一本足打法を伝授された。中日入団後も時間があれば東京に出向いて荒川道場に足を運んだ。
最後の対面は7月の球宴休み。いつもと同じバッティングセンターだった。「手術を受けていて体もボロボロだったみたいです。2、3分歩いたら休憩というような感じでした」。5カ月ほど前にはすでに、荒川さんの体調は思わしくなかったようだ。それでも指導してくれる時は元気に振る舞った。渡辺は「僕の時は力を入れて指導してもらっていました」と感謝しかない。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016120602000090.html
2016年12月6日 紙面から

亡き荒川さんに来季の飛躍を誓う渡辺=レイクグリーン倶楽部で(黒田淳一撮影)
突然の悲報から一夜明けても、渡辺は動揺を隠せないでいた。「まだ会っていないので(亡くなったことが)信じられない」。昨オフも実践した「真剣トレ」を今月も荒川さんと東京で行うはずだった。「予定…で終わってしまいましたね」。思わず言葉に詰まった。
荒川さんに指導を受けるようになったきっかけは中学3年時。横浜市内に暮らしていた渡辺が、母・康子さんの知り合いを通じて出会い、連れて行かれた神宮外苑のバッティングセンターで一本足打法を伝授された。中日入団後も時間があれば東京に出向いて荒川道場に足を運んだ。
最後の対面は7月の球宴休み。いつもと同じバッティングセンターだった。「手術を受けていて体もボロボロだったみたいです。2、3分歩いたら休憩というような感じでした」。5カ月ほど前にはすでに、荒川さんの体調は思わしくなかったようだ。それでも指導してくれる時は元気に振る舞った。渡辺は「僕の時は力を入れて指導してもらっていました」と感謝しかない。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201612/CK2016120602000090.html