2018年01月13日
夢 燃え尽くまで<特別編(上)> 仙さん語録1996~2000年
夢 燃え尽くまで<特別編(上)> 仙さん語録1996~2000年
2018年1月12日 紙面から

1997年の年賀状
古い5冊の日記帳がある。星野さんが中日の監督として復帰した1996年から2000年までの5年間。担当記者として星野さんの言葉をつづってきたものだ。グラウンドで、ご自宅で、移動の車中で…。そのひと言ひと言に「星野の生き方」が詰まっている。そんな中からいくつかを2回に分け紹介し、今回の緊急連載の締めとする。 (報道部長・館林誠)
◆1996年
1996年1月5日
「いきなり、即優勝を目指していく。待たせません!」(5年ぶり復帰の球団年賀式で)
1月7日
「みんなダボダボのユニホーム。足元がだらしなさすぎる」(選手の印象を)
1月14日
「笑顔、怒っている顔。アレもオレ。コレもオレ」
1月20日
「『今の若いヤツは』は大人の勝手な言い訳。時代が変わった? 変えたのは大人じゃないか」
1月24日
「外出するなということ」(キャンプの門限を廃止)
1月31日
「まず組織、その中で個人を出せ! コーチも玉虫色の顔じゃダメ。イエス、ノー。ハッキリした態度を取らないと」(キャンプインを翌日に控え)
2月1日
「コーチ陣はコーチ同士で話がある。選手も監督やコーチの悪口がある。それを考えて、ああいう席にした。誰にだって不満はある。オレの悪口言うのも、コーチの悪口言うのもいい。でも場所と相手を間違えちゃいかん」(キャンプの食事の席は選手、コーチ陣別々。監督は報道陣、来客と一緒に)
2月3日
「オレは幸せ者だよ。半世紀もの間、野球を続けさせてもらっている。これで重い物しょっとるや、悩みや言うたらバチが当たる。選手はやるだけのことやって、あとは運。我々がついて行けるのは扉の前まで。開けることはできん」
2月24日
「監督のスタイルも環境、選手によって変わってくる。年齢もある。智恵、駆け引き…。随分、ずるさも覚えたかな。名古屋のファンは熱しやすく冷めやすい。冷めさせたらオレの負け」
4月14日
「聞かなければ言ってないのと一緒。分からせて初めて言ったことになる」(指導法について)
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201801/CK2018011202000118.html