2016年10月31日
4位・笠原、竜もアゲアゲ
4位・笠原、竜もアゲアゲ
2016年10月29日 紙面から

日本海の荒波をバックに投球のポーズをとる笠原
中日は28日、ドラフト4位で指名した笠原祥太郎投手(21)=177センチ、85キロ、左投げ左打ち=を新潟市の新潟医療福祉大に訪ね指名あいさつした。笠原は高校時代は無名だったが、大学入学時に新設された野球部の1期生としてメキメキと頭角を現した。投げ合いたい投手は同学年の阪神・藤浪晋太郎投手(22)。高校時代、頂点に君臨していた右腕との対戦を熱望。3部リーグから1部へとチームを引き上げた「アゲ力」をドラゴンズでも発揮する。
4年前の自分からは想像もつかない世界が広がっている。中田スカウト部長らから指名あいさつを受けると、笠原は「やっと実感が湧いてきた。プロの世界に入るんだという気持ち」と表情を引き締めた。新潟の大学から初のドラフト指名。先駆者となった左腕のこれまでを振り返ると、数奇な軌跡をたどっている。
新潟・新津高時代は無印だった。当時の最速は135キロ。3年夏の県大会は2回戦で敗れた。大学は自宅から通えることを第一条件で探した。その結果、理学療法士を志し、志望したのは新潟医療福祉大。この時点で野球部はない。それが、だ。翌年から野球部が創部され、監督には最後の夏で敗れた相手・新潟明訓の佐藤和也監督(60)が就任することを知った。
「野球部ができていなくても、新潟医療福祉大に進学したと思う。でも、佐藤監督がやると聞いて、それならやってみよう、と」。つまり、部ができていなかったら、ドラフトで指名されることもなかった。まさに奇跡のタイミングだった。
チームは1年生のみ29人でスタート。笠原は一般受験組だった。当時は屋内練習場もなく、最初の練習は雨のため体育館だった。関甲新学生リーグに13年秋から参加し、最初は3部で5位。そこから笠原の成長とともに快進撃をみせる。
「高校時代は厳しく練習をするチームではなかった。大学で本格的に練習するようになった」。走り込みや投げ込みなど、コーチがつくるメニューをこなしていくうちに体力がついた。「普通に練習して、食べていたら、大きくなって、球も速くなった」。入学当時、75キロだった体重は10キロ増。球速も147キロを計測するまでになった。
チームも3年春に2部で優勝し、秋から1部に。阪神1位指名の大山や西武2位指名の中塚らを擁する白鴎大など強豪ひしめく1部でも、笠原はいきなりシーズン73奪三振のリーグ記録を樹立。さらに4年春には6勝無敗、防御率0・72という圧倒的な成績を残し、その名をとどろかせた。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201610/CK2016102902000111.html