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2015年01月20日

大豊泰昭さん死去 51歳台湾出身、中日で2冠王


大豊泰昭さん死去 51歳台湾出身、中日で2冠王

大豊泰昭さん死去 51歳台湾出身、中日で2冠王

<評伝>一緒に街を歩いていて、突然隣にいたはずの大豊さんが消えてしまうことがあった。振り返ると、ショーウインドーの前に立ち、ガラスに映る一本足の打撃フォームのチェックにのめり込んでいた。

 自ら認める天性のタイミング音痴が、その弱点を克服するために選んだのが一本足という難しい打法だった。薄皮一枚破れない苦しみにあえいでいた時、幼い時の記憶にすがった。台湾の貧しい農家で家族の手伝いに明け暮れていた少年が一週間分の小遣いをはたいて買ったのは尊敬する王貞治が表紙の野球雑誌だった。ぼろぼろになるまで読み込んだ。

 「野球で身を立てるという夢を抱かせてくれたのが偉大な王さん。もう一度、すがってみたい。王さんになれなくても、近づくことはオレにもできる」。ナゴヤドームのトイレ、新幹線のデッキ…。「一本足で大地をつかむ、という感覚を体に覚え込ましたい」

 フォームを固めるため、彼はいつでも、どこででも無心に立ち続けるフラミンゴとなり、本塁打王の土台をつくった。

 一九九九年春、選抜高校野球取材の帰りに遠征に向かう大豊さんと偶然、阪神電車に乗り合わせた。「何で、おれ、縦じまなの。頼むから、大好きなドラゴンズへ、名古屋へこのまま連れて帰ってくれ」。自分の野球を追求する頑固な姿は、自己本位と誤解され、阪神というチームでの居場所をなくしていた。我慢の堰(せき)が切れたのだろう。満員の車内でチームメートの目もはばからず涙する大豊さんを目の当たりにして、私も泣いた。

 試行錯誤を繰り返し、挑んでは跳ね返され、本塁打王をもぎとった自信すら揺らぐ時があった。そんな七転び八起きの野球人生を支えてくれた中日ファンへの熱い思いは最後まで冷めなかった。「ファンなくして大豊なし」。引退の言葉にもやけどしそうだった。

 「タイミングがぴたっとあった時の打球は美しいよ。一本足の醍醐味(だいごみ)だな」。のどの奥が日焼けするぐらいの大きな笑顔が忘れられない。一年ほど前。短い時間だったが電話で互いの近況を話した。「大豊は死ぬまで元気だよ」。でも、体中に生気が満ち満ちていた頃の彼の声ではなかった。最後までタイミング音痴であってくれたなら、天国からの誘い球に遭うこともなかっただろう。この一球だけは、大豊さんらしい豪快な空振りでよかったのに。(元名古屋運動部長・末次秀行)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2015012002000122.html



Posted by 後援会事務局 at 18:20
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